上田馬之助

元プロレスラーの上田馬之助が亡くなりました。71歳でした。


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大相撲出身で、力道山時代の1960年に日本プロレスに入門。交通事故で引退するまでプロレスラーとしてのキャリアは36年に及びましたが、世の中には1977年の新日本プロレス参加以後の悪役のイメージが定着していると思います。


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竹刀を持ってタイガー・ジェット・シンと肩を組んで入場してくる上田をテレビで見て、子ども心に「奇妙な日本人がいるなあ」と思いました。

当時は前髪だけが金髪。ポッコリお腹が出て、原色を組み合わせたようなダサいロングタイツ。シン以上に技を出しませんでした。


かなりファンキーな人々。


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新日本プロレス時代で最も有名な試合は1978年2月8日、日本武道館でのアントニオ猪木とのネールデスマッチでしょうか。リング下に敷き詰めた釘板の上に猪木が落ちそうになるのを見て、「なぜすもっと早めに逃げないのか」と不思議に思うまだ純粋だった私がいました。


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私がプロレスを観戦するようになったころはタイガー・ジェット・シンからスタン・ハンセンの時代に変わっていました。なので上田の試合を生で見たのは恐らく一度だけだったと思います。

シンと一緒に全日本プロレスに移ってジャイアント馬場、ブルーノ・サンマルチノ組と戦った1981年10月9日の蔵前国技館。盛り上がっていたようなそうでもないような試合。あまり印象に残っておらず、前日の蔵前での猪木対ラッシャー木村を見ておけば良かったと今も後悔しています(笑)


後期には猪木と組んで前田日明率いるUWFと戦ったりして、悪役を期待する私には残念な場面もありました。


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上田は日本プロレス史に重要な役割をした一人です。馬場、猪木と同期入門。1971年に猪木の日本プロレス改革構想を漏らしたために、馬場と猪木に決定的な溝をつくってしまい、結果的には日本プロレス崩壊にまでつながりました。その一方で1967年に東京プロレスから日本プロレスに復帰したばかりで1人で練習していた猪木に「一緒に練習しましょう」と声をかけたのも上田だったとか。そういう歴史を踏まえながらその後の上田の動向を考えるとなかなか感慨深いものがあります。


最後に私の今年のフェイバリットミュージシャン、なぎら健壱の「男は馬之助」。上田馬之助のすべてがあります。


スポーツ用品店の店先で 「竹刀一本をください」と小さな声
そのときの馬之助の口から出る 「領収書をください」の男らしさ

試合から試合、旅から旅に



この記事へのコメント

  • ミイ子

    ほほーう。
    毎度勉強になります。
    プロレス豆知識。

    ミタの最終回についてかな~?
    と思っていたけれど、
    馬之助氏でしたね。
    2011年12月23日 21:31
  • ブランコ

    ミタさん最終回はみなさん見ていると思いましたし。最後に笑う(というか微笑む)ところにグッときました。「松嶋菜々子が戻ってきた」と。当たり前ですが。

    上田のリングネームは動物の名前を付ける変な趣味の先輩(豊登=ギャンブル好き)に付けられました。ほかには林牛之助や高崎山猿吉(大分出身)など。ちなみに馬場、猪木、グレート小鹿、大熊元司は本名です。豆知識。
    2011年12月24日 15:48
  • シゲマスター

    三田最終回観てません。
    馬之助さん亡くなったんですね。
    ブランコさんと同世代なので、同様のイメージしかありませんが、猪木と組んで前田とやってたとは、知りませんでした。ご冥福をお祈り致します。
    2011年12月26日 16:15
  • ブランコ

    上田が猪木と組んだのは1986年3月26日、東京体育館のイリミネーションマッチでした。今思えば、茶番なんですが(笑)ただ客の興奮度合いがすごいです。半分プロレスを離れていた当時の私でも、猪木の入場シーンはTVでよく覚えています。

    http://www.youtube.com/watch?v=5Wbkwnac630
    2011年12月27日 04:06

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